第21回重要刀剣指定書(昭和48年3月1日)付
¥4.300.000(税込)
本間薫山博士御鞘書付
新版日本刀講座・鑑刀日々抄所載品
金着二重鎺、白鞘付
東京都教育委員会登録証(昭和27年9月3日)付
◎時代・国
南北朝期(663年前)、長門。
◎法量
刃長31.7㎝(1尺4分6厘) 反り僅か
元幅2.5㎝(8分3厘) 元重0.52㎝(1分7厘)
茎長9.5㎝(3寸1分4厘)
◎形状
平造、庵棟、身幅やや広めに重ね薄く、ふくら枯れて、寸延びてほぼ無反りの健全なる体配で、姿が良い。
◎鍛
よく錬れた大板目に綾杉風がゆったりと流れ、板目・杢目が交じり、総体に肌立って地沸よくつき、地景頻りに入って映り立つ。
◎刃文
小のたれ調に小互の目、小乱れ交じり、刃縁ほつれて打ちのけ湯走りかかり、小沸よくついて金筋・砂流しかかり、ふんだんに働いて明るく冴える。
◎帽子
乱れ込んで、先火焔風に尖りごころに小丸に深く返り、強く掃き掛けて金筋入る。
◎茎
生ぶ、先栗尻、鑢目筋違い、目釘孔2。
◎説明
長州行観の短刀である。行観は大左の子である左安吉一派の刀工とされてきたが、本刀の存在によって、初代安吉と全く同年代の大左の同門であった事が明らかとなった。
大左の遺作には暦応二年及び三年が現存するが、その子と伝える安吉にはその17年後の正平十二年紀があって、本刀の正平十一年と同時期である。現存するものに在銘は少なく珍品で、地刃の出来が良く、しかも岩倉の居住地名、正平の年紀は資料的に貴重である。(重要図譜より抜粋)
因みに、長州岩倉は日本刀銘鑑によれば、現在の山口県山口市阿知須町岩倉とされており、当時の長州鍛冶の分布を知る上でも興味深い優刀である。
◎備考
本間薫山博士の御鞘書には「経眼稀有就中佳作」と賞賛されている。