保存刀剣鑑定書(令和2年2月19日)付
特別貴重刀剣認定書(昭和33年5月25日)付
¥1,950,000(税込)
金着一重鎺、白鞘付
三重県教育委員会登録証(昭和28年2月6日)付
◎時代・国
江戸末期(174年前)、武蔵。
◎法量
刃長28.9㎝(9寸5分4厘) 反り0.6㎝(2分)
元幅3.18㎝(1寸5厘) 元重0.49㎝(1分6厘)
茎長10.3㎝(3寸4分)
◎形状
平造、三ッ棟、身幅頗る広く、重ね頗る薄く、だんびらのいわゆる南北朝期の体配で、反りがあって力強く、姿が良い。
◎鍛
板目に杢目が交じり、刃寄り・棟寄りは柾となり、地沸よくつき、地景頻りに入る。
◎刃文
沸出来、匂い深く、大互の目乱れ華やかに、足・葉よく入り、金筋・砂流し頻りにかかり、よく働いて明るく冴える。
◎帽子
大きく乱れて一枚風となり、やや深く返る。
◎茎
生ぶ、鑢目化粧付大筋違い、先栗尻、目釘孔1。
◎説明
直胤は、安永七年に出羽国山形に生まれ、本名を庄司(荘司)箕兵衛(美濃兵衛)と称し、大慶と号した。文政4年頃に筑前大掾を受領し、嘉永元年に上洛して美濃介に転じている。
若年の折に江戸に出て、水心子正秀の門に入り、後に師同様に秋元侯に仕え、細川正義と共に水心子門下の逸材となった。
安政4年5月27日79歳で没している。
彼は晩年に3度の長旅に出て各地で鍛刀しており、都・サガミ・エンシウ・イセ・シナノ・イヅ・コロモ・宮等々それぞれの地名の刻印があり、本作の刻印は「ヲシテル」で、これは大坂を意味する枕詞である。
本作は身幅が頗る広く、重ねが頗る薄く、刃寄り・棟寄りの鍛えは柾目となっていて、刃文は沸出来の大互の目乱れが華やかで、足・葉よく入り、金筋・砂流しが頻りにかかってよく働き、明るく冴えて相州伝の様相を呈している。まさに南北朝期の名工・長谷部国重あたりを狙った優刀で、師の水心子正秀の復古論を忠実に実践した同工の快心作の一口である。
なお、銘の藤は一字で藤原を表している。直胤の遊び心のある希少な銘である。