刀  銘  藤原清人作    (新々刀・上作)

慶應二年八月日

34回重要刀剣指定書(昭和63414)

                 ¥8,000,000(税込)

金着二重鎺、白鞘付

東京都教育委員会登録証(昭和601219)

◎時代・国  

江戸末期(153年前)、武蔵。

 

◎法量    

刃長70.05(2312) 反り1.4(46)

元幅3.2(16)     先幅2.35(78)

元重0.81(27)      先重0.55(18)

鋒長5.82(192)   茎長22.35(738)

 

◎形状    

鎬造、庵棟、身幅広く、元先の幅差少なく、身幅の割に鎬幅狭く、平肉あまりつかず、反り頃合いで姿が良く、ふくら枯れて大鋒となる。

 

◎鍛     

小板目肌よく約み、処々流れて、地沸厚くつき、地景頻りによく入る。

 

◎刃文    

互の目乱れに頭の丸い互の目・尖りごころの刃・角がかった刃など交じり、足長くよく入り、沸つき、金筋・砂流し厚くかかり、上半淡く棟焼きかかり、匂口明るく冴える。

 

◎帽子    

乱れ込んで、表は浅くのたれて尖りごころとなり、裏は尖り、共に返りは棟焼きに断続的につづく。

 

◎茎     

生ぶ、先栗尻、鑢目筋違い、目釘孔1

 

◎説明    

清人は斎藤一郎といい、文政10年、羽州庄内大泉荘(今日の温海温泉)に生まれた。生家はこの地に温泉旅館を業としていたという。嘉永54月、志を立てて出府し、源清麿の弟子となった。この弟子入りは、庄内出身の金工・船田一琴の世話によったものという。嘉永711月、師源清麿の自刃にあい、修業期間は僅か2年余りに過ぎなかったが、よく学び師風を受け継いでいる。その後、師清麿の刀債を完済したことが、清人の名を高からしめている。清麿死後、安政2年まで四ツ谷伊賀町に、文久二年頃からは神田小川町に移り作刀し、慶應37月には豊前守を受領し、その後は郷里と往き来しながら作刀し、明治38月、政府が庶人の帯刀を禁じたため、鍛冶の道を廃し、郷里温海に帰り、旅館の主人として晩年を送り、明治34824日、75歳で没した。(重要図譜より転載)

本刀は師風を受け継いだ清麿風の乱れ刃で、地沸が厚くついて地景が入り、金筋・砂流しが長くかかるなど、地刃の働きが豊富で、殊に刃中の冴えは見事である。師清麿に迫る出来映えで、抜群の技量を示した優刀であると共に、数振しかない重要刀剣指定品中の白眉である。(重要図譜より抜粋)

 


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