特別保存刀剣鑑定書(昭和63年10月8日)付 ¥1,900,000(税込)
金着一重鎺、白鞘付
大阪府教育委員会登録証(昭和32年11月5日)付
◎時代・国
江戸末期(151年前)、武蔵。
◎法量
刃長71.3㎝(2尺3寸5分) 反り1.4㎝(4分6厘)
元幅3.22㎝(1寸6厘) 先幅2.28㎝(7分5厘)
元重0.85㎝(2分8厘) 先重0.58㎝(1分9厘)
鋒長4.1㎝(1寸3分5厘) 茎長20.7㎝(6寸8分3厘)
◎形状
鎬造、三ッ棟、身幅広く、重ね厚く、元・先の幅差があって、踏張りごころがあり、反り浅くつき、中鋒で姿が良い。
◎鍛
小板目に小杢目肌頗るよく約み、地沸細かについて映りごころがあり、細かい地景が頻りに入り、明るい。
◎刃文
逆丁子乱れ華やかに、逆足長くよく入り、匂口締まりごころに明るく冴え、細かく金筋働く。
◎帽子
互の目を焼き込んで、先小丸に返り、飛焼交じる。
◎彫物
表裏に丸留の刀樋がある。
◎茎
生ぶ、鑢目化粧付筋違い、先刃上がり栗尻、目釘孔1。
◎説明
宗寛は文政初年に、大野平蔵の子として奥州白河城下阿武隈川畔に生まれ、江戸深川箱崎に住し、固山宗次の門人となって鍛刀に励んだ。
作刀は天保末年頃から始まるが、その後の作品に、阿武隈川宗寛と銘するものがあって、生まれ故郷の阿武隈川を姓として用いている。泰龍斎と称したのは安政元年頃からで、嘉永初年頃から下総国古河藩の抱え工となったといわれている。また、刀身彫も得意であり、師のよき協力者としても活躍した。銘は初め、楷書体で切っていたが、安政三年の冬頃から四年にかけて隷書体に改めている。
本刀は、江戸から東京に改められた最初期の頃の作品で、宗寛も技量が横溢して、新しい時代に向かって意欲満々に、あえて「於東京」と銘を切った特別の一振りである。
常の作風には見られない青江風の逆丁子を高低をつけて華やかに焼き、地景・金筋を交えて明るく冴えた出来となっている。師宗次の作に優るとも劣らぬ出来映えで、宗寛作刀中の白眉である。